日常と非日常の往復が人生を育てる【リトリートという生き方 vol.4】

「祭りは、なぜ私たちの心を惹きつけるのか」そんな問いを持ったことはないでしょうか?
太鼓の音。提灯の灯り。屋台から立ち上る香り。夕暮れになると、町全体が少しずつ熱を帯びていく。祭りは昔から日本人の暮らしの中に息づいてきました。その魅力は、祭りの一日だけでは終わらない気がしています。
本コラムでは、自然療法やリトリート事業のプロデュースに長年携わるネイチャーセラピスト・豊島大輝氏が、「祭り」という日本文化を通して、日常と非日常を往復することの意味、そしてリトリートという生き方について、豊島氏自身の言葉でお伝えします。


前回のコラムでは、温泉に浸かりながら自然のリズムを取り戻す「温泉地で回復する」というJapanese Retreatの考え方について書きました。日本人が古くから育んできた文化と、欧米発のウェルネスが出会うところに、これからの日本型リトリートが創られていく——そんな話をしました。

最近の私は、こうしてコラム執筆や講演依頼なども増え、様々な場所でリトリートについて話す機会が増えています。
そうすると、時々こんな質問を受けます。

リゾートとリトリートは、何が違うのですか?

と。
私は、そんなときはこう答えています。

リゾートが「非日常」だとするなら、リトリートは「新日常」です

もちろん、これはリゾートを否定する意味ではありません。私自身、リゾートへの旅が大好きです。
非日常のリゾートをコンセプトにした海洋療法施設で働いた経験もありますし、起業してからも、複数のリゾートホテルでリトリートづくりに携わってきました。

リゾートホテル屋上でヨガを教える筆者

だからこそ、リゾートという文化が持つ価値を、私は体験として知っています。

日常を離れ、
美しい景色に心を動かされ、
大切な人と豊かな時間を過ごす。

その時間は人生を豊かにしてくれますし、私自身も、その文化をとても大切にしています。
ただ、私がリトリートで考えたいのは、その先です。

旅が終わり、家へ帰り、また日常が始まる。

その日常とは、旅に出る前と同じでしょうか?

そんなことを考えていたとき、私の頭に浮かんだのが、日本の祭りでした。
祭りもまた、非日常の熱狂のあとに、必ず日常へ戻っていく営みだからです。

子どもの頃、祭りの日だけは町の空気が違いました。
昼過ぎになると、どこからか太鼓の音が聞こえてきます。
浴衣姿の人が歩き始め、屋台の準備が進み、夕暮れになるにつれて町全体が少しずつ高揚していく。

あの、胸がそわそわする感覚。
「今日は祭りだ!!」
それだけで、一日が特別な日になりました。

日が暮れると、祭り会場は提灯の灯りに包まれていきます。
その灯りの向こうでは、神楽の舞台を囲むように人々が集まり、静かにその時を待っている。
笛や太鼓の音、揺れる提灯、夜の闇。

昼間まで見慣れていた町が、まるでこの世ではないような、幽玄な世界に変わっていく。
子どもの私にとって祭りは、日常のすぐ隣に現れる、特別な非日常の世界でした。

ちなみに私はスーパーボールすくいが得意中の得意で、あまりにも取ってしまうので、夜店のお兄さんに「もうそれ以上は勘弁してよ」と止められていました。笑

最後には花火を見上げる。そして祭りが終わる頃になると、少しだけ寂しくなる。

でも、その寂しさは嫌なものではありません。
祭りのあとの余韻です。

祭り会場からの帰り道、暗がりの公園からは、
ジジジジジジジジ……

お盆も過ぎ、秋の虫が鳴き始めています。

大人になってから、あれがツヅレサセコオロギという、夏の終わりを告げる虫だったことを知りました。

「また来年も来よう」

そんな気持ちで家へ帰る。

翌朝になれば、日常は戻ってきます。
けれど、戻ってくる自分は、祭りの前とまったく同じではないような気がするのです。

何かの節目があった感じ、祭りの終わりは寂しかったけど、また1日目から始まっている感覚です。

きっと昔の人も、同じだったのでしょう。

この営みは、はるか昔から受け継がれてきた日本人のリズムだと思います。それはリズムという言葉を超えて、世界に誇る日本文化といえます。

自然のリズムの中で暮らし、一年の節目として祭りを迎え、また日常へ戻っていく。

私は、この日常と非日常を往復するリズムが、日本人が昔から大切にしてきた知恵ではないかと思うのです。
しかし現代の私たちは、地域の祭りなどの年中行事だけで人生のリズムを刻むことが難しい時代になりました。暮らし方も働き方も多様になり、自分ならではの新しいリズムを、自分自身で創っていくことができる時代です。

共通の価値観を持つ仲間と出会い、
自然の中で時間を過ごし、
また日常へ帰っていく。

その一つが、人生に「リトリートを取り入れる」ということなのだと、私は思っています。

前回と前々回のコラムでは、「リトリート」と「回復」の繋がりについてお話ししてきました。
ただ私は、リトリートとは“回復することだけではない”と考えています。

それよりも、

回復した自分で、どう生きるか?

つまり、「回復した先にある」ものを大事にしたい。

だからこそ、リトリートは非日常を味わうだけの旅ではなく、その体験を日常へ着地させていけるものでありたい。

忙しい毎日の中でも、少しだけ空を見上げる。
自然を感じる時間をつくる。
自分と向き合う時間を持つ。

そんな新たな習慣が育っていく。

リトリートの実践で得た自分を整えるリズムを、自分自身で育てていく。
リトリートで出会った仲間と、また会う約束をする。
その人が開催するヨガイベントに参加して、また新しい出会いが生まれ、人生に新しい価値が加わる。

そうやって、昨日とは少し違う毎日が積み重なっていく。

私は、そのように少しずつ育っていく毎日を、

「新日常」

と呼んでいます。

そして新日常とは、新しい生活様式のことではありません。
リトリートの実践を通じて、日常と非日常を何度も何度も往復しながら、前よりも少し豊かな日常へと着地していくことです。

自分自身も、人とのつながりも、人生そのものも、生涯を通して、少しずつ育てていくことです。

祭りのあと、また新たな一年が始まるように。

リトリートのあとも、新しい日常が始まる。

私は、その繰り返しが、人生を少しずつ豊かに育てていくのだと思っています。

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