里山でリトリート 自然の循環に人が交わる【リトリートという生き方 vol.2】

「本当の意味での休息とは何か」―― そんな問いを、どこかで感じたことはないでしょうか?自然療法やリトリート事業のプロデュースに長年携わり、その問いと向き合い続けてきた第一人者が、ネイチャーセラピストの豊島大輝氏です。本連載では、豊島氏が現場で積み重ねてきた知見を、豊島氏自身の言葉でお届けします。


最近、各地で「リトリート」という言葉を耳にする機会が増えました。
海辺のリゾートホテル、山あいの温泉旅館、古民家を改装したスタイリッシュな一軒宿、お寺でのヨガリトリートや、更には大手旅行会社によるツアーの名前にまでリトリートの名前が登場していて驚く事があります。

本当に様々な場所でリトリートが行われています。
長年リトリートの現場に関わってきた中で、私が感じていることがあります。
それは、日本という国そのものがリトリートに向いている気候風土なのではないか、ということです。

その理由を考えた時、頭に浮かぶのは「里山」という存在です。
更にもう一つ「温泉」という言葉も浮かびますが、それは次回のコラムで書くことにしましょう。

私も自然学校を運営したり、里山をフィールドにリトリートを開催したり、とても里山との接点が多く、自分の活動を語る上で切っても切れない場所なのですが、日本の里山はとても不思議で、そして魅力的な場所だと感じます。

里山は深い原生林のような大自然ではなく、かといって集落のような人工空間でもない、何とも中間的な場所です。
雑木林があり、動物の足跡など「自然の気配」があり、谷に下りると小川が流れている。高台に上がると古い神社があって、境内の石碑は長年の風雨で文字が読めなくなっているほど風化して、私たちの人生の時間の尺度をはるかに超えた、時間の積み重なりを感じます。

1000年前、もしかすると、もっと前から、ずっと何十代にもわたり、この場所で人の暮らしが行われていたことを感じさせる先人から続いてきた「人の気配」があります。
自然と人が共に生きてきた緩衝地帯のような、自然の気配と人間の気配が交わる場所。つまりは「自然と人の中間産物」それが里山であり、日本の原風景だと感じています。

私は、この里山の在り方が、日本型リトリートのヒントを持っているように感じています。

欧米から入ってきたイメージのリトリートでは、自然の中でヨガをしたり、マインドフルネスをしたりすることが多くあります。それはとても素晴らしい実践で、私も大好きな取り組みです。
私自身も、そうした考え方=ウェルネスから多くを学んできましたし、趣味はヨガイベントやヨガリトリート参加で、特にヨガ関係の集まりに高頻度で参加しています。

ただ、日本の里山に入っていくと、ヨガなどのウェルネスプログラムを行った際の身体感覚の他に、もう少し違う感覚が生まれることを、自らの感性を通して感じています。

それは、自然の中で何かのプログラムを行うというよりも、自然の循環というもっと大きなテーマでのプログラムに参加させてもらっている感覚です。プログラムの内容に自然を合わせるのではなく、自然のリズムに自分の方が合わせていく、時間をかけながら自然と同期していく感じです。
この自然との一体感ともいえる「自然とリズムが合ってくる」感覚のことは、前回のコラムでお伝えしています。

里山には、その感覚がリトリートをしている場所だけでなく、エリア一帯の「空間」に残っている感じがします。
例えば、
田植えの時期には水が張られ、一斉にカエルが大合唱する。
草木が芽吹く頃には山菜が採れ、春の苦みと心身の浄化(デトックス)を与えてくれる。
夏はセミの大合唱と、夏草の匂い、少年、少女たちの賑やかな声。
春から夏へと向かう里山は、生命のエネルギーに満ち溢れていきます。

実りの秋には木の実や果樹がたわわに実り、柿を狙って猿がやってくる。
赤い実はヒヨドリの群れが豪快に丸飲みしていく。
冬になれば渡り鳥が訪れ、その命をつなぐ逞しさに心を動かされる。

自然の恵みが人間だけのものではない事を、まるで彼らがアピールしているようにも感じます。
そして人間はというと、お正月には藁や南天など、野にあるもので飾り付けをつくり、新しい年を迎える。

古来より、里山に暮らす人々は自然の循環の中に自分たちの居場所を作りながら、上手にその恵みをいただいて暮らしてきたように思います。そして里山の住人は人間だけでなく、様々な動植物が逞しく、四季折々の生命力を輝かせながら生きていて、自然物としてのヒトも、そこに交ざって生きている。

欧米で発展した自然と人を分けて捉える自然観とは少し違い、日本には自然の動植物も人も同じ循環の中に存在しているという感覚が受け継がれています。それは、人が自然の外に立つ特別な存在ではなく、その一員として暮らしてきた。この事実は、私たちが世界に誇ることができる調和の文化だと思います。

季節の移ろいに合わせて上手に暮らす。自ずと旬の食材や、時期をずらして食する保存食や発酵文化が発展する。


この豊かな自然との関係性こそ、日本のリトリート文化の向かう方向性だと感じています。

近年、ウェルネスツーリズムへの関心が高まっています。

その中で日本が世界へ発信できる価値は何だろうか?
欧米型のリトリートと、日本型のリトリートの違いは?

産業区分的には、リトリートはウェルネスツーリズムの1カテゴリーとして数えられます。

もちろん私自身も、その産業区分の中で働く一人なのですが、日本型のリトリートは、単なるウェルネスの一部なのでしょうか?
私は、あくまで日本ならではの文化や自然観がベースにあって、そこに後からウェルネスの考え方が加わったと見ていて、ベースは暮らしや生き方にあると思っています。

つまり日本型のリトリートとは、日本文化とウェルネスの中間産物。


“里山のように”


その前提に立てば、リトリートは単なる方法論ではなくなります。

人間が自然との関係性を取り戻すとき、それは私たちの先祖がそうしてきたように、その土地の気候風土に適した、調和のとれた“生き方”そのものになっていきます。
だからJapanese Retreatとは、特別なウェルネスプログラムのことだけではありません。
自然と人が共に生きてきた風土の中で、ありのままの自分自身を取り戻す。

そして、人もまた自然の循環の一部であることを思い出す。
そこに、日本型のリトリートの本質があると感じています。


【筆者 豊島 大輝
ホリスティックサポート代表、日本ネイチャーリトリート協会代表理事、鹿野山自然学校 校長、ホテル・観光系専門学校講師
資格:健康運動指導士、ネイチャーゲームリーダー、温泉ソムリエ
著書・メディア:『しつこい疲れがみるみるとれる!!リトリート休養術』(すばる舎)、多数のメディアに出演

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