私のリトリート【リトリートという生き方|番外編】

予定が埋まっていることと、人生が前に進んでいることは、本当に同じなのでしょうか。
日本の文化や四季を通してリトリートの本質を綴ってきた本連載ですが、今回は番外編をお届けします。語り手は、ネイチャーセラピストの豊島大輝氏。リトリートを「生き方」と考えるに至った道のりを、ご本人の言葉で綴ります。


リトリートについて語り、リトリートを仕事にする私について、「じゃあ、あなたはどんなリトリートを普段しているの?」という疑問が、そろそろ出てきたころではないでしょうか?
なぜ私がこれほど長くウェルネスに関わり、リトリートを仕事にし、そして今、「リトリートを生き方に」と考えるようになったのか?今日は、自分自身の話を書いてみたいと思います。

私は、このコラムを単にリトリートについて伝えるものではなく、読む方にとっての「読書リトリート」だと思って書いています。

現場でリトリートを届けることもあれば、文章を通してリトリートを届けることもある。著書『リトリート休養術』も、このコラムも、私にとっては同じです。今回は、その「読書リトリート」の中につくった、ほんの少しの余白です。

直線時間(経済時間)から降りる

前回のコラムでは、自分の中にある思いをかなり強く文章に乗せました。
ちょうど夏の終わりでリトリートの仕事は繁忙期。家庭のことは、あとで詳しく書きますが、母の介護とも重なり、とても忙しい時期が続いていました。

著書も出して、リトリートの現場にも立っていますが、このコラムを書くことは、自分の中にある思いや哲学をストレートに表現できる場所として、とても書くのを楽しみにしています。

だからこそ、一つ書き終えると、すぐに次へ行きたくなる。

四季、終わった。次!
書いた。次!
その次!

そんな終わりのない「次!」に、自分自身が陥りかけていました。
これは、多くの現代人が陥る罠ではないでしょうか?

これを私は「直線時間」と呼んでいます。経済時間と言ってもいいかもしれません。

いわゆる、手帳に書ける時間のことです。予定を入れ、締め切りを決め、「次!」へ進んでいく。

けれど、よくよく考えたら、予定が埋まっていることと、人生が前に進んでいることは、必ずしも同じではありません。

一方、自然の中には、手帳には書けない時間があります。風を感じる。森の中でたそがれる。季節を味わう。何かを終わらせるためではない、そんな時間です。

私はそれを「自然時間」と呼んでいます。

リトリートとは、そんな経済時間から一度降り、自然時間に身を置くことでもあります。

「今回は、自分に余白をつくらせてくれ」と(笑)

旅に出る事だけがリトリートではありません。忙しい中でも、自分の中に余白の時間を取る。
経済時間から降りると決めた瞬間から、既にリトリートは始まっているのです。

Connecting Nature=自然とつながる

夏の終わり。まだまだ暑さの残る日の夕暮れ、森へ向かいました。
時間にすれば1時間ほどです。何かインスピレーションを得ようと思ったわけでもなく、自然のリズムに、我が身を委ねたかったのです。(Vol.1 自然とリズムが合ってくる参照)

ただ、森の中でたそがれる。
何もしない。

そんな時間を過ごしていると、様々な内面からのメッセージが湧き出てきます。

「先を急ぎすぎて、自然のリズムから外れてきているよ」
「もう少しスローダウンして」
「ありのままの自分に戻って」

しばらくすると、
ミーン、ミンミンミンミン……。

なんと1メートルほど先の至近距離で、セミが鳴きはじめました。

もしかして、このセミ、私のことを人間だと思わなかったんじゃないか、私がじっと森で動きが無くたそがれていたから、木や石と同じように、森の中にある自然物の一つくらいに思っていたのではないか?と。

そして、

「このことをコラムに書こう」

そう思いました。

このまま直線的に進むとバランスが崩れる。
そんな内面の声を正直に受け取り、時間的な余白を求めて森へ入ったら、その余白の中へ、インスピレーションの方から飛び込んできたのです。

自然時間の中では、私は立ち止まっていない。

時間感覚を「自然時間」に合わせることができれば、立ち止まることが怖くなくなる。
スケジュールに空白があっても、それを「何もしていない時間」だと思わなくなる。

木がその場で年輪を重ね、地層が積み重なっていくように、私たちも時間を重ねながら育っている。経済時間では止まっているように見えても、人生という時間は、ちゃんと積み重なっています。

余白の時間も、人生としては進んでいる。そんな自然時間の中に身を置くと、「次!」を追い続けているときとは違う、生きている実感があります。

そして、私はよく「Connecting Nature=自然とつながる」ことを、リトリートの大切なポイントとして挙げています。

自然との関わりの中で、何かしらの心理的変化、身体的変化が起きたら、それはもう自然とつながっている、と私は定義しています。ストレスホルモンが減少したとか、血圧が下がったとか、もちろんそれも自然とのつながりを知る大切な視点です。でも、自然とのつながりは、数値で測れるものだけではないとも思っています。

なので、自然とつながったかどうかは、自然の側に決めてもらう(笑)
セミが1メートル先で鳴き始める。トンボが帽子のつばに止まる。そんなことが起きたら、今日は自然側から認めてもらえたか(笑)
そんな気軽さを持って自然に入っています。

介護歴、というかケア歴30年の私

少し時間を巻き戻します。
私のプロフィールには、「父の病気をきっかけにウェルネスに興味を持った」と書いてあることがあります。

でも、現実はそんな美談にできるような生やさしい話ではなく、もっともっと過酷で、あり得ないくらい壮絶です。
実は、父の病気から始まった家族のケアは、父を見送ったあと、母へとバトンタッチするように形を変えながら続いてきました。

介護歴というと大げさですが、なんとケア歴30年、私のウェルネスのキャリア以上の時間を並走し続け、それは今も続いています。入退院を繰り返し、倒れた日を境に、自分の生活の全てがそこに持っていかれる。介護休職を取った時期もありました。

介護をしているのは私なのに、精神を病んだ母から暴言を吐かれて、帰宅後の安らぎの時間が一瞬で最悪な気持ちに変わることもあります(笑)

もちろんフルタイムで仕事をしているから仕事のストレスもある。そんな私が職場でも家庭でもない第3の居場所として見つけていったもの。それが自然に身を置くことでした。

短い時間でもそこに身を置き、本来の自分を取り戻す。私にとってリトリートは、単なる方法論や楽しみの術ではなく、
困難な人生をサバイバルしていくための必須スキルだったのです。

リトリートの語源は「撤退」や「退く」です。
しかし、相手は家族です。どんなに「撤退」したくても、ケアという宿命から「退く」ことはできませんでした。

そんな中で私は、小さなリトリートを生活の動線の中に組み込む工夫を身に付けます。

そうして私にとってのRetreatとは、単なる「退く」という意味から、re-treatment(再び修復する)へと、その意味を変えていったのです。

リトリートという言葉との出会い

「リトリート」という言葉との出会いには、忘れられない時期があります。

2009年2月、私が携わっていた旅館再生プロジェクト(vol.5四季コラム参照)が、リーマンショックの影響で打ち切りになり、会社都合で退職しました。

私にとって、大きな人生の挫折でした。

今振り返ると、あの時期は人生に突然できた大きな「余白」だったのかもしれません。

もう、こうなったら自分で作りたい世界は、自分で創るしかない。
そんな気持ちを胸に、雇用保険の出ている1年の間に、全国のウェルネス施設を訪れます。
この時、まだリトリートという言葉には出会っていません。

その年の6月、訪問先の一つとして、長野県安曇野市にある穂高養生園を訪れます。

そこで出会ったのが、「ホリスティック・リトリート」という言葉でした。

当時の私は既にウェルネスの仕事に何年も関わり、自然の中で自分を取り戻すことの大切さを知っていました。ただ、それを一言で表現する言葉を持っていませんでした。

関わる事業に合わせて「タラソテラピー」や「デスティネーションスパ」などと呼んでいたのが実際のところです。けれど、それでは流行りや時代によって呼び方が変わってしまいます。
この「リトリート」という言葉なら、私のやろうとしていたことが、一言で表現できる。
そんな確信を得た瞬間です。

そして、もう一つが「ホリスティック」という世界観(全的、とか丸ごとという意味です)

ホリスティック医療の権威、帯津良一氏から気功法を習う著者

人だけを切り取って見るのではなく、その人を取り巻く自然や環境、暮らしまでを丸ごと見ていく。これもまた、四季コラムのように、以前から自分の中で考えてきたことでした。

新しい考え方に出会ったという感覚はなく、自分の中に既にあったものを表現できる言葉を、そこで一気に見つけた。そんな出会いだったのだと思います。

そして翌2010年4月、個人事業「ホリスティックサポート」を立ち上げ、全国のリトリートやウェルネス事業のプロデュースをしていくことになります。

ときには、ごほうび型のリトリートへ

ここまで日常の「プチリトリート」を中心に書いてきましたが、それだけが正解だとは思っていません。
本格的なウェルネスリトリートも大好きです。
ヨガイベントに一日参加したり、箱根でヨガリトリートに参加したり。一人で行うプチリトリートとは、また違う良さがあります。

ファシリテーターがいて、プログラムがある。その時間は、ウェルネスのプロが作ってくれた場に身を委ねることができます。

可能な時期であれば、日常から大きく離れるリトリートに出ることがあります。

湘南、海のリトリート、本当に楽しそうに笑っています(笑)
箱根リトリートで開催されたヨガリトリート、赤い服が私です。

どんな状況でも、希望を失わず、自分を見失わずに、日常と非日常の往復を繰り返しながら、新しい日常に着地していく。そして必要になったら、またリトリートする。

通常、リトリートというと、多くの方は、こちらをイメージすると思います。

しかし、日常のプチリトリートと、本格的なウェルネスリトリートの組み合わせで、私のリトリートは成り立っています。

Retreat(撤退)から、
re-treatment(再び修復する)へ。

これが、宿命から撤退したくても撤退できなかった私が(笑)それでも自分を回復させながら、上手に生きていく中で見つけた「リトリートという生き方」です。

そして今、私はこの考えを、自分だけのものではなく、もっと多くの人へ届けていきたいと思っています。
認定制度をつくり、リトリートを伝える人を育て、宿や地域と一緒に、その土地ならではのリトリートをつくる。そしていつか、世界の人たちが集まるJapanese Retreat Centerをつくりたい。

私にとってのリトリートは、まだ道半ば。この先に何が待っているのかは、まだ分かりませんが、こうして様々な方との出会いの中で育てていきたいと思います。

未知だからこそ、楽しみなのです。


【筆者 豊島 大輝】
ホリスティックサポート代表、日本ネイチャーリトリート協会代表、鹿野山自然学校 校長、ホテル・観光系専門学校講師
資格:健康運動指導士、ネイチャーゲームリーダー、温泉ソムリエ
著書・メディア:『しつこい疲れがみるみるとれる!!リトリート休養術』(すばる舎)、多数のメディアに出演

関連記事

  1. 温泉でリトリート 世界に誇る日本のウェルネス文化【リトリートという生き方 vol.3〈後編〉】

  2. 里山でリトリート 自然の循環に人が交わる【リトリートという生き方 vol.2】

  3. 日常と非日常の往復が人生を育てる【リトリートという生き方 vol.4】

  4. 自然とリズムが合ってくる時間 【リトリートという生き方 vol.1】

  5. 温泉でリトリート 世界に誇る日本のウェルネス文化【リトリートという生き方 vol.3〈前編〉】

  6. 日本の四季が育む、リトリートの多様性~旬のあるリトリート~【リトリートという生き方 vol.5】