
春、夏、秋、冬。私たちは当たり前のようにこの四文字で一年を語りますが、実際の自然は、そんなにきれいに割り切れるものなのでしょうか。日本の四季の移ろいをリトリートづくりの根幹に据えてきたのが、ネイチャーセラピストの豊島大輝氏です。本連載では、豊島氏が現場で重ねてきた気づきを、ご本人の言葉でお届けします。
前回のコラムでは、日本の「祭り」を通して、日常と非日常を往復するリズムについて書きました。
一年の節目として祭りを迎え、また日常へ戻っていく。それは、日本人が昔から大切にしてきた「ヒトのリズム」であり、そのことを “新日常” と呼んでいる。そんなことを話しました。
しかし、そのリズムをもう少し大きな視点から見てみると、その周りには、私たちを包み込んでいる、もっともっと大きなリズムがあることに気づきます。
それは「四季のリズム」です。

春が来て、夏になり、秋を迎え、冬になる
私たちは、そんな日本の風土ならではの、特徴ある季節の変化と循環の中で暮らし、そのリズムを祭りや年中行事として、暮らしの中に取り入れてきました。
今回のコラムでは、その「四季」について、もう少し考えてみたいと思います。
四季のリズム
さて、皆さまにいきなりの質問です。
そもそも、季節とは、本当に4つだけなのでしょうか?
春、夏、秋、冬!
以上!解散!!
点呼のように、ぴったり4つで終了、そういうことでしょうか?
私たちは当たり前のように、一年を四つの季節に分けていて、それを四季と呼んでいます。
でも、実際に自然と共に生きていると、現場の自然そのものは、本当はそんなにはっきりとは分かれていないように思います。
先日、こんなことがありました。
ある日のこと、お盆を過ぎた頃だったと思います。
ある昼の情報番組を見ていると、気象コーナーで千葉県の大雨について取り上げていました。
8月もまだ半ば。四季としては「夏」それも真っ盛りです。

ところが、そこで映し出された空には、少し不思議な光景がありました。下層には夏らしい積雲(もくもくと発生する夏の雲)、そのさらに上には、秋を感じさせる、うろこ雲が広がっていたのです。
確かなことは言えませんが、上層は寒気の影響でできた雲、下層は夏の猛暑で発生した積雲、そのように見えました。この二つのぶつかり合いで、千葉の大雨が発生したのだと思います。
気象予報士は、積雲を中心に話していたのですが、パーソナリティーが上層の雲に気づき、
「これ、上にあるのは秋のうろこ雲ですよね?」
と気象予報士に尋ねました。
ところが、気象予報士は、その質問に対して、どう答えたらよいのか少し困っているように見えました。もしかすると気象学的には、夏、秋を判断するための何らかの定義があり、それゆえに回答に困ったのかもしれません。
考えてみれば、季節そのものは人間が作ったものではありません。
人類が誕生する、はるか以前から、季節は存在しています。
地球は太陽の周りをまわり続け、春が来て、夏になり、秋を迎え、冬になる。自然は終わりなく変化を続けながら、規則的な循環を繰り返してきました。

人間はそのずっと後に現れ、その自然の変化に大きな特徴を見つけ、4つの季節に分類しました。
四季の誕生です。
つまり、自然そのものに、もとから春と夏、夏と秋を分ける境界線が引かれているわけではないということです。
元々、地球の自然変化は存在し、季節の境界線は、人間が後から決めて引いたのです。きっと、気象学の世界では、明確な季節の定義があるのでしょう。
しかし、気象予報士を困らせたのは、一つの空の中に夏と秋が同居しているという、学問とは少し違う“ありのままの自然”の姿でした。
そんな日本の四季の中で、リトリートを考えたらどうなるでしょうか?
18年前に考えた「旬のあるセラピー」
今から18年ほど前、伊豆の旅館再生プロジェクトの中で、旅館再生の核となるディスティネーションスパづくりに携わっていました。今でいうリトリート施設です。
そこで考え、実際に取り入れたのが「フォーシーズントリートメント」というセラピーのコンセプトでした。
四季に合わせてセラピーの方向性を変え、スパトリートメントのラインナップそのものも大胆に変えていく考え方です。

旅館では旬の食材を使用した懐石料理を提供しています。なら、それに合わせたスパトリートメントも、旬のある内容であるのがいい。これは、もともと自分の中にあった考え方でした。
かつてフランス発祥の海洋療法施設(タラソテラピーセンター)で働いていた頃、自然と共に生きる暮らしの中で、年間を通して同じスパトリートメントを提供し続けることに、大変な違和感を持っていました。
「温暖な海外ウェルネスのコピーじゃだめ、日本独自の内容じゃないと」
内心では、そんな気持ちが膨らんでいて、どんどん大きくなっていました。上層部に提案書を書いたこともありましたが、それが受け入れられることはありませんでした。
新たな日本独自のウェルネス文化を創造したい。その一心で会社を辞め、伊豆に乗り込みました。
秋には秋の、冬には冬の体調がある。
私たちを取り巻く季節がこれだけ大きく変わるのだから、そこで提供するセラピーもまた、四季とともにダイナミックに変化していいのではないかと考えたのです。

四季に合わせて、スパトリートメントのラインナップも、アロマのブレンドの方向性も大きく変えていく。
そのベースとなる精油のブレンドは、アロマテラピーの資格認定を行う指導者クラスの専門家に依頼しました。
しかし、このフォーシーズントリートメントに込めた意図は、現場のセラピストには全く伝わりませんでした。
あるセラピストに、この考えを語った時のことです。
「そもそもアロマとはそういうものです」
と冷淡に言われたことを、今でも覚えています(笑)
確かに、季節やその人の状態に合わせて精油を選ぶことは、アロマテラピーでは当たり前のことです。
でも、目指していたのは、精油を季節の体調変化やゲストの希望に合わせることだけではなく、個人の体調を取りまく四季という大きなリズムを起点として、ディスティネーションスパそのものの滞在設計を組み立てたかったのです。
結局、スパトリートメントのラインナップまで大きく変えることはできず、実現できたのは、使用する精油の方向性を季節ごとに大きく変えるところまででした。
18年前の日本では、まだ日本独自のウェルネスという発想は少なく、海外で生まれた考え方や手法を、そのまま日本の現場に取り入れることが中心だったように思います。
「本場」より、自分たちの自然に倣う
様々なエリアでリトリート開発をするようになってからも、何か少し違うことをしようとすると、
〇〇とは本来こういうものです。
〇〇とは××すると定められています。
といった言葉に、その後も出会うことがありました。
もちろん、その本場や源流を知り、大切にすることはとても大事なことです。
でも私は、そこから少しくらい、日本らしくアレンジしてもいいんじゃない?と思ってしまうのです(笑)
例えば、ヨガの「木のポーズ」をするとき、両手を上に伸ばすのではなく、広葉樹の木の枝のように大きく広げたオリジナルのポーズをとることがあります。

何なら、パタパタと手を動かし、落ち葉まで再現しています(笑)
なぜなら、ヨガ発祥のインドと日本では、生えている木の種類も、形も違うからです。
日本の自然の中でヨガをするのなら、日本の木になればいい。
そう考えるのは、決して不自然なことではないはずです。
海外で生まれたものを従順に習い、疑問を感じることもないまま思考停止になってしまうのではなく、日本の気候風土に合ったウェルネスを、日本の側から生み出すことはできないだろうか?
今思えば、「旬のあるセラピー」という発想は、そんな問いに対する、当時の私なりの一つの工夫だったのかもしれません。
チャレンジャーがやってきた!
それから長い月日が経ち、元々のビジョン通りに季節変化に合わせた内容で、自然体験型のリトリート(Nature Retreat)を実践するようになりました。
そして日本ネイチャーリトリート協会を立ち上げ、欧米のウェルネスリトリートに並ぶ概念として、日本の自然と人を分けない世界観、そして自然そのものをセラピストとするNature Retreatを普及すべく取り組んでいます。

欧米のウェルネスと日本のNature Retreat、その二つの流れが合流する地点をJapanese Retreat(日本型リトリート)として、日本に新しいリトリート文化を創造していきたい。
そんな気持ちを持って、こうしてコラムを書いたり、本を出したり、日々ゲストと接して、リトリートの現場で活動しています。
そんなあるとき、面白いチャレンジャーがやってきました。
2月の末のことだったと思います。
「豊島さんが山菜は3月からとブログに書いていたので、2月にやってきました!!」
という男性2名がやってきました(笑)
しかも「山菜摘みがしたいです!!」と、乗り気のご様子です。
きっと、2月しか休みを合わせられる日が無かったのだと思います。そこまで言うのなら、探してみましょう。

実際に彼らと真冬の枯れ野に分け入り、山菜を探してみることにしました。
辺りを見渡しても、まだ枯れ草ばかりです。どう見ても冬です。
やっぱり、まだ早かったかな。そう思いながら枯れ草をかき分けてみると、その下に。。

枯れ草の下に、春がありました。
まだ冬だと思っていた景色の下に、春がいたのです。

更にはふきのとうも顔を出していました。3日前に視察に来た時は無かったので、まさに初物です。

結局、ふきのとうとゲンノショウコを見つけて、皆さん大満足です。
そして、1人の男性がふと宙を見上げるような視線で、こんなことを言われました。
「いい時間ですね、こうして仕事のことも全部忘れて没頭するって」
若い男性でしたが、その哀愁ある表情に、きっと強い悩みや、何かしらのストレス状態にあった時期のご参加だったのかと、想像しました。
私たちが過ごしたのは、何もかも忘れて、枯れ野の中に必死で山菜を探す「没入型リトリート」の時間だったのです。
地上に残る風景は確かに冬。でも、その足元では、次の季節が春の気配として、すでに姿を現していました。
このように季節は、時に同居しながら、時に重なり合いながら、自然は絶えず変化し、そしてまた巡っていく。
秋には秋、冬には冬のリトリートがある。
でも、それだけではありません。
同じ夏であっても、今日と明日では、吹く風も、光も、気温も違います。そして、そこに関わる人も多種多様です。
そう考えると、四季から生まれるリトリートは、決して四つだけではありません。
日本の四季が育むリトリートは、それほど多様なのです。
旬のあるJapanese Retreatという考え方
かつて私は「旬の食材があるのなら、セラピーにも旬がある方が自然だ」そんなことを、ごく自然に考えていました。
当然、旬のあるリトリートがあってもいい。その考えは1ミリもブレたことはありません。
ただ、それは4つじゃない。それが18年前の私と変わったところです。
季節の変化は無限のバリエーションがあり、だからこそ日本は自然災害も多い。しかし、それは同時に、多様性に富んだリトリートを生み出す土壌になる可能性を秘めています。
2月の枯れ野の下にあった春も、私たちが作ったものではありません。
でも、2月に山菜を探しに来るチャレンジャーがいなければ、私たちはあの日、枯れ草をかき分けることさえしなかったかもしれません。そして、その下にあった春にも気づかなかったでしょう。

自然と人。
その両者が出会い、関わることで、その時、その場所にしかないリトリートが生まれていきます。
だから、Japanese Retreatとは一つの形に収まりません。
足元を見れば、冬と春が同居している。
そして、そこに様々な目的を持った人と自然の関わり方の数だけ、まだ私たちの知らないリトリートが生まれていきます。
海外で生まれたウェルネスの本場や、その源流を知り、大切にすることはもちろん大事です。でも、いつまでも「本場ではこうだから」と、その形を追いかけることは卒業したい。
リトリートとはこうだからと、既存のイメージに自分たちを合わせる必要もない。
その本場に、なればいい。
Japanese Retreatという源流に、私たちがなればいい。
日本の四季には、それを可能にするだけの、多様な自然があるのだから。
Japanese Retreatは、重なり合う無限の四季と同じように、可能性に満ち溢れているのです。
【筆者 豊島 大輝】
ホリスティックサポート代表、日本ネイチャーリトリート協会代表、鹿野山自然学校 校長、ホテル・観光系専門学校講師
資格:健康運動指導士、ネイチャーゲームリーダー、温泉ソムリエ
著書・メディア:『しつこい疲れがみるみるとれる!!リトリート休養術』(すばる舎)、多数のメディアに出演







